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娑婆と仏教
昭和54年11月
織田隆弘
 評論家の話程責任の在りかの不明なものはありません。自分が同じ立場だったら、その筆先で何ヶ月飯が食えるかと思うことがあります。 新聞の中味をよく読み続けた人なら、戦後は急速な左傾化への誘導記事で埋められて来たことを思い出すでしょう。 常に政府を攻撃し、日本の政府と与党程悪いものはなく、逆に反対党程正論はなく、 随って必ず旧体制は崩壊するものであると結論付けされたのが事実であったと思います。

 海外事情でも同じで、政府与党と仲良しの国は悪い国侵略国で、反平和の根源であるとされました。その首魁と目されるのが米国です。

 されば米国が対決する革命国は悉く善で平和で、人民の暮しも豊で、明るい将来が約束されているということになります。 殊に中国は驚異的に充実した強国になりつつあると想像させました。あの文革の時に、彼の国の民衆のために悲しんだ新聞が一紙でもあったでしょうか。 アメリカがベトナムで侵略者扱いをされると、米国は手を引けといった新聞が、今のベトナム、カンボジアの問題を目前にして、 如何に誤った世論を喚起しようとしたかを反省し、その責任を感じた例があったでしょうか。これは評論家の多くも同じことです。

  私共の仏教で第一番に禁じられたのが殺生です。戦争のみならず、革命の名に於いても同じこと、いや革命とまでは申しません、 一小事件でも人を殺すことは絶対に許されないのです。けれども、ここに閑却してはならぬことがあります。 正法を守ることの重大さは、それが身命を捨てても守らねばならぬものなることを、釈尊は大きくお説きになっておることからも知られます。 これを忘れて、殺生を禁ずる意を偏狭に解釈しては、本末を傾倒するも甚だしいものがあります。

 日本人の大きな誤りは、太陽と水と平和と権利は無料で得られるとの考え方です。法律は条文によって示されておりますが、 その基本の尺度は普遍性をもつもので無形なものですが、人類平等の上に立っております。それでも時代と環境によって変化があるのは勿論です。 でありますが、大筋の律即ち大切な不変の法則があるのも亦事実です。 印度で発達した「ダルマ」という考えが「法」と訳されたことを想い起したいものです。 国を救い、真理を守り、仏法を守るためには、吾が生命を捧げる程尊いものはないということです。 死は礼賛すべきではないが、かと申して、犬死ににつながる動物的な生き方も礼賛されるものではありません。

 日本の北方領土たるエトロフ、クナシリどころか、色丹にすらソ連の軍事基地が構築されても、外務省首め、大平首相までが、 騒ぐのは国益に反するという迷論を述べています。

 本来国民の知らない間に、堂々とその非を鳴らし、相手を論破する外交交渉を不断にやって、世界の世論に訴えなければいけないのですが、 それがないのは、私共国民には理解し難い事ではないでしょうか。評論家の中には、今から名誉ある降伏を用意すべきだとする愚論まで出ておる始末です。 自衛隊は、如何にも国防軍らしい名称ではあっても、防衛力に自信がないから、正論を強く出せないと言われております。

 我国はなるほど経済大国になったのですが、自ら国土を盗まれ放し、更に加えて自国領土に侵入した者が、 その母屋ともいうべき北海道を狙っておるのを母屋の住人が心配して、何とか防衛しようとその方法を訴えるのを、 国益に反するという外務大臣がいるのであります。このように、男の性ともいうべき愛国の勇気が消え失せ、 ただ外務大臣という名誉に自己陶酔しておる如き状態、また自己の名誉心を捨て国を護る至誠をもつ政治家が一人も見当たらない状態は、 近き将来が思いやられます。

 私は軍事費は捨てるお金だと思っております。軍備が用いられ、火を噴いた時は人類の不幸です。 私共は素直に考えたい、備えあるところに侵略はありません、備えあれば憂いなしです。 なすべき備えをせずに、侵略者に最善の便宜を与えることこそ、大きな罪悪であるといわねばなりません。

 それなのに、侵略の容易な状況だという判断を与えているのが、日本の今のような政策であり、また新聞の論調であります。 尤も五大新聞の中では、サンケイ新聞のみが、国際ニュースを正直に報道して、国家の判断を誤らないようにしていることは注目されます。

 要するに、今の日本は理想のみに生きるもので、恰も相手のない、山の中で無財産乞食同様のヨーガの行者が、 自己陶酔の瞑想に甘んじておるに等しいといえるのではないでしょうか。

 政治家は自己の権力と目先の利益追求にのみ趨り、共産主義の惹き起す大量殺戮、全く慈も非もなき鬼畜そのものの如き行為は、 唯物論の上に立った哲学、行政であることに思い及ばぬようです。今回の総選挙は権力争いの結果を問うものでしかなく、 真の愛国愛民の政策は欠けております。国防外交論をタブー視する如き政府は、明治以来日本にはかつて無かった筈です。 金権政治を攻撃する派閥の長も、部下の代議士が用いる金力には言を避け、政敵を攻撃して、我独り清めりと思わせても、何の功にもなりません。 政治の前に反省すべき問題のあることに気付かぬのが、今の全日本の姿です。朝野共々です。 

 拙著『日本再建の鍵』に克明に書いておきましたが、先ず制度や予算やスポーツでなく、人格回復に教育の内容を改めるべきです。 大学教育を受けた教育者が、日本史の優秀さの根源は仏教によって築かれたことを知らず、全体を廃仏的教育方針にした誤りを知らないことです。 世界各国の国民を指導すべき地位にある者が、自国の宗教の概論さえ知らないで、マルクスの『宗教は阿片なり』を常識の根拠にしているようでは、 当然人間悪を助長し、善悪の尺度も知らず、又悪を止むる方法に疎くなるのも当然なことでありましょう。

 社会主義国には罪悪も犯人も生じない如く考えているのではないでしょうか。 世の中に金が制限されれば犯罪が起らないものと考える者があったら、これ程大きなナンセンスはないのです。 侵略者を防ぐのも、犯罪者を防ぐのも、その根本は前に述べたように、大乗仏教の教理の外にありません。 宇宙創造の神があっても、今の人類の教育内容では、必ず世界中の国が苦しむための政策に進むだけであります。

 経済至上主義に倒壊が起るのは必定であります。人間の欲を適当に冷やし、欲の延ばし方は施しにあることを知らない人類は、 その欲故に死を早め、破壊を早めるに至るのであります。

 仏法を守ることが同時に国土を護ることに通じることは、今目の前に鮮明な姿を現した、彼の仏教国ベトナム、 仏教国カンボジアの全貌を知る時、もはや論ずる余地もないということです。