日本に仏教が伝来してからの歴史は古い。しかも宗派仏教としての発達は世界に例を見ない。
時代によって異なる民衆の要求に応じて宗派が発生して来たのも自然なことである。
平安時代には、天台、真言の両山の盛んになる原因があった。
鎌倉仏教は武士と一般民衆という異なる思想背景を無視できないので、禅と浄土に加えて、
日蓮の法華宗が出なければならない必然性があったことを否めない。
明治の排仏毀釈という、国学者を中心とする思い上がった国策によって、
封建性の重圧にあえぐ全国の民衆は今迄信仰して来たお寺や本尊を破壊され責められても、
西洋にみるような反発乃至大衆行動が少なかったのは、少なくとも神仏分離も止むないものとしてみた民衆が、
宗教外の世の中の仕組の革命変化に目も心も奪われたこともあろうが、一面には仏教が平和な心の基礎となった諦観の結果であると思われる。
この中にあって真言、天台は退勢の一途を歩まざるを得なかったのである。
明治、大正、昭和の仏教界では、密教はそれまで教えの誤解から派生した、俗論同様の禁厭、星占遊びをもって、
加持祈祷なりと思わしめて来たことに、各本山が訂正を求め、或は邪道を改め、正意に帰った教学と、
実際の救済方法を考究をしなかった。少なくとも正純密教を正しく易しく解説しなかった為に、
真の仏教は禅と浄土宗であると思い込ませてきたのである。
法華教信仰は、戦後は在家仏教として信仰宗教の主流をなして、急成長した。これは確かに驚くばかりの伸び方であった。
禅、浄土では現世利益を否定したり、黙視してきたりしたが、現世利益を信じ実際苦に泣きあえいだ民衆にとって、
法華経の功徳説は、干天に慈雨の思いをしたに違いない。
維新の時、真言、天台の密教寺院は神仏分離せしめられ、寺の財産たる土地即ち寺財を政府に取り上げられて、
収入源を封じられてからは、実にぶざまな体たらくで、還俗をしたり、他宗に変身したり、
中には神官に変身した僧侶さえあったと伝えられるから、密教僧俗には、
密教上の深い確固たる信仰も安心も無かったと云われても止むを得ない状態であったようである。
追打を掛けられた今一つの原因は滔々として普及した西洋医学の伝来と制度化によって、激痛の病者は一本のモルヒネ注射によって、
一時的にもせよ、苦痛を去らしめるものを見て、それ迄唯一の頼みとしたところの加持祈祷に不信の念を向ける、
それどころか、密教僧自体がすっかり悲観してしまったのも無理がない。
中にはその幻の如き麻酔力を物ともしないだけの、法力ある達人もあったが、その荒行によって得た法力を尊んでも、
後に続いて修行する者は、注射の力には到底及びもつかぬものと思ったようである。密教本来の目的は即身成仏にあったが、
理想の立前と実際の本音に差があり、やはり苦厄の民衆の生活に速決の法力を期待するのである。
即身成仏論は別に密教に求めなくとも各宗が皆な成仏道の宗派であるから、今迄各宗が成仏道を説いても、
信者が目を密教にのみ向けてきたのは、やはり今迄各宗では解決してくれぬものとし、前向きで相談相手になってくれたのが密教であったからである。
特に加持祈祷は民衆の頼りとする柱であったと言える。
それなのに西洋医術によって、大方の期待が変化したことは見逃せない。
また一方仏教界では、布教と言えば浄土系であったし、禅も提唱の中には現世利益を無視し否定して来た。
このように文書、書籍、講演によって、段々と民衆の常識は、加持祈祷は迷信なりとすることになってしまったのである。
加えてキリスト教の、密教の偶像崇拝を迷信なりという宣伝と、欧風を文化人の鏡とした当時の風潮とは、
新聞雑誌の論客をして密教を正しく視る者皆無という状態にならしめた。
真言宗の大学でも官立大学にも密教学の教授はあっても、博士号を得たものはなく、日本で初めて与えられたのは高野山大学教授栂尾祥雲先生で、
昭和十五六年頃のことと思っておる。私が丁度高野山大学に学び、先生の講義を受けていた頃は、未だに与えられておらなかったのである。
確か私が真成院に入る昭和十六年頃だったと記憶しておる。
現にその頃迄には他宗では文学博士号を得た人は数え切れない程出ていたものであった。
惟うに、このような結果を招いたのは、要するに密教の解説が困難であったために論文の提出者も少なく、
これを審査する学者も知られていなかったからである。
一方雑部の密教は俗法と混合しても、正純密教は遂に正しい加持の法門を説くことがなく、
今日に至ったと云える。即ち、弘法大師の余りに偉大な人格の歴史の中から片鱗を切り売りしたり、世にもありがたい大師伝や、
非仏教的霊験談で、寺院も宗団も経済優先で、宗義よりも、善男善女の志納金を何よりの力として今日に至ったのでなかったか。
今日正純密教の真髄たる加持門を改めて照見して、自らも省みて、密教と正反対と信じられている浄土教を掘起して、
密教こそ絶対他力易行に立つことを明し、しかも自力聖道の苦心を忘却せずに、人間練成の努力を強調したいのである。
これを否定しては却って如来の大悲請願の勿体なさを、無視することになることと憂うるのである。
真の空海の即身成仏即疾の道は、同時に当然のこととして現世利益を現出する真理の教えであることを知らしめ、観念の救い、
現実遊離の誤った仏教から脱皮し、しかも多くの邪説を反省せしめるのでなければならない。